『黄金のアフガニスタン』展

 3日に梅雨入りして、上野の東博『黄金のアフガニスタン展』へ。埋葬品の、ハート型、花びら模様、トルコ石をあしらったジュエリー。。現代でも通用する洗練さがあり、美しかった。イスラム教、キリスト教、仏教それぞれのモチーフがあり、文明の十字路だなと思う。展示は6/19(日)まで。

 展示を見ながら、ドイツ在住時、会社の掃除婦さんだったアフガニスタン人のルクシアーナを思い出す。もともと父親はアフガニスタンのフットボール協会の副会長で、兄や従兄弟は医師という家庭に育ったけれど、タリバンから逃れ、家族揃って難民としてドイツに来ていた。カブールにあるビルのような自宅、医師免許、財産と、全て投げ出し逃げてきていたので、医師だった兄や従兄弟はドイツでタクシー運転手や掃除夫をしていた。でもいつも明るくて、ラマダンの時は「アイムハングリー!オルモスト ダイング(死にそうや)」とか、「礼拝行くけど、毎回、右から左へ、ツーっとね」と、とにかく明るかった。311の震災時、日本の自宅まで心配して電話をくれたのは、ルクシアーナとカナダ人の息子の友達だけだったな。

 

 遡って911の時、私はルクシアーナとユダヤ人のママ友と、たまたまうちのアパートに居合わせていた。二人とも私の大事な友達だけど、このテロのニュースを見る、イスラム教徒VSユダヤ教徒二人の不穏な空気は経験したことのない気まずさだった。その数日後、米英連合軍がタリバン襲撃のため、アフガニスタンの空爆をした時も、私はルクシアーナと一緒だった。爆破されるカブールの街を見ながら、「カタストロフィー!パパもママも、もうカブールに戻れない。ソ連が来て、タリバンが来て、連合軍が来て、めちゃくちゃにしている」とオイオイ泣いて叫んで辛かった。他にもソ連による侵攻の際、兵士が街で何をしていったかとか、化学兵器の残留物のせいでどれだけ正体不明の健康被害を被っているかとか、タリバンが公開処刑をした残酷極まりない話など、辛い話をたくさん聞いた。

 

 黄金のアフガニスタン展の展示品は、国が安定しないアフガニスタンの博物館職員たちが、破壊や盗難から逃れるために国外に避難させているものだそうで、これからも諸外国を転々とするらしい。ルクシアーナの家族のようにアフガニスタンにいつ帰れるかわからないなんて、なんとも言い表せられない気持ちになる。何もできないのだけど、ものすごく美しかったり、歴史の長さを感じたり、圧倒的存在感のものを見た後は、昨日までの自分の不満とか、どうでもいいわと思う。